毒食わば皿まで 2

毒食わば皿まで http://dokusara.exblog.jp の続き

ミロンゲーロと踊ってもらった話

みなさま

 

巨匠がミロンガ行こうか、と言うのでワクワクついていきました。

その日はデモがあって、それとは別にブエノス・アイレスからミロンゲーロのおじいちゃんが来ていました。

ミロンゲーロというのは、ミロンガ(タンゴのダンスパーティ)の人(男性形)くらいの意味なんだと思います。スペイン語よく知らないから細かいことはわからないけど、よく聞くのは、ミロンゲーロ、タンゲーロ、マエストロの三つで、どれもタンゴを踊り込んでる人に対して言います。

前もチラッと書いたことありますが、アルゼンチンタンゴの黄金時代は、1940〜50年代くらいらしいです。その頃ミロンガに行きまくってた人たちをミロンゲーロと呼ぶみたいで、大分上の世代の人たちなので、その人たちをマエストロ(先生)と呼ぶこともあり、ミロンゲーロ=マエストロみたいなとこも少しあるっぽいのかな?と、わたしはぼんやり把握していました。けど、ある時、神戸のタンゴの先生で、ブエノスにいた人が、何かの話のついでに、いにしえのミロンゲーロの話をしていて、ミロンゲーロていうのは、ミロンガばっかり行ってるやつ、て言う意味で、決していい意味だけじゃなくて、ミロンガばっかり行って女の子漁ってるナンパなやつ、て言うニュアンスもあるんですが、と、ちょっと説明をしてくれたことがありました。その当時大人で、ミロンガ踊りに行ってた世代のガチのミロンゲーロは、もうほとんどなくなってるか、生きていても飛行機乗って外国に踊りにいくこともないでしょうが、こないだ、そこまでの年ではないけどおじいちゃんとよんでも差し支えなさそうなうちの親世代くらいかちょい上くらいのアルゼンチンから来たおじさんが、あるタンゴの先生に連れられて来ていて、うちの巨匠が、あれ、ミロンゲーロやで、(俺知ってるで、と言うニュアンスで)言いました。

ふぅん、そうなんやな、ミロンゲーロなんや、と、私は伝説の妖獣を見たような気持ちで、ちょっと緊張しました。

 

ミロンゲーロのおじいちゃんは、最初は一緒に来た人と話しながら、みんなが踊ってる様子を見ていたので、私が巨匠とかと踊ってるとこもじっと見られて、ちょっと緊張するな、こわいおじいさんかな、と、少しビビりつつ、遠巻きに見ていました。

そうこうして、何タンダも進んで夜は深け、デモを見たりお酒も回ったりして行き、ミロンゲーロ氏がいろんな人と踊っているのも見ました。

氏は優しい顔で微笑んで踊っており、一緒に踊っている女の人もみんないい顔なので、怖くなさそうやな、どんなんやろ、わたしも踊りたいな、と思ってじっと踊ってるところをみていたら、何度も踊っている女の人の肩越しに目が合い、その度にニッコリしてくれ、ええな、踊って見たいな!と、思いつつ、巨匠にもミロンゲーロに踊ってもらってないんか、と言われながら、ぽけーっと見てました。(社交ダンスやってた母曰く、私は壁のシミになっていたわけです)

ミロンゲーロ氏はだんだん興が乗って来たのか、しまいには、タンダとタンダの間のコルティナで立ち上がって、次、何がかかっても誰か誘うぞ!という勢いに。

わたしは正直言って下手な方なので、聞いたことがない楽団の知らんややこしい曲とか早いミロンガがかかると多分しんどいな、と思って、選り好みしてたところもあるのですが、じっと座っていたら寒くなったりもするので、巨匠にねだってワルツ思ってもらったりしつつ、とうとう会も終盤に。

時間は9:30までだったのですが、みんながもっと踊りたがって、次ラストー!とDJが言っては、えー!もっとー!といって、2回くらい延長がありました。

私はいつも巨匠に最初と最後のタンダは踊ってもらうように頼んであり、大抵の人もカップルや連れと来ている人は、一緒に来た人とラストタンダを踊るので、ラスト2タンダになった時、これはミロンゲーロと踊るの最後のチャンスやん!と、思ってめっちゃ目を合わせに行きました。

けど超高速のまばたきしながら目を逸らされたので、あー、こりゃチャンスなかったな、しゃーないや、と諦め、ラストに巨匠と踊るから何かかるかな、と思いながらぼんやりとミロンゲーロ氏が踊ってるところを眺めました。

やはり目はあって、にっこりされました。

ふむ。

まぁ、目が合うとニッコリは、ベルギーとかでは、電車とかで向かいに座ってる人と目があった時もするわな。

と、思ってぼんやりしていたら、そのタンダが終わるなり、ミロンゲーロ氏がグイイ!と来て、ラストタンダ、踊ろう!(ラストタンダ、フォーユー、て言ったかな?)と言って、ぐいっと手を取られました。

わー!!やったぁ!

それで、巨匠に、踊ってもらえることになったー!ごめんねー!とピョンピョン跳ねながらフロアに出て、ミロンゲーロ氏と踊りました。

(そんなんありか、となる巨匠。ごめんな)

氏は、どの楽団が好き?と聞いたら、プグリエーゼ、トロイロ、ダリエンソ、かなー。ディサルリはなんとかって歌手の時だけ好きだね、と、手で好きな度合いを高さで示しながら教えてくれました。

結構しっかりしたアブラッソ(タンゴの組み手、抱擁のこと)で、ぐいっと抱き抱えられ、なんか知らんけど、安心感ある感じでした。

プロのダンサーとか先生と踊ると、大抵緊張して、どうせ下手やのに上手く思われたいと変なこと考えて、リラックスできないのですが、ミロンゲーロ氏のアブラッソに、なぜか、上手く思われんでもええやー、身を任せよ!と言う気持ちになり、いい気分でクルクル踊りました。

ミロンゲーロ氏は、でかい目の日本人女子が身を任せて重たかったかどうか、実際のところは知りませんが、そんなことは微塵も感じさせないノリの軽さの心地よさ。

曲の間に、I love your Tango!! と嬉しくなって言ったら、おじいちゃんはニヤっとしてI love you!と言って来ました。

ワハハ!これがミロンゲーロかー!と、めっちゃ楽しくなりました。

ミロンゲーロのおじいちゃんが50年以上かけて磨き上げて来た軽やかなチャラさに、チョロいナオコ転がされるの巻、でした。

巨匠に、あのミロンゲーロのおじいちゃんさー、ただの旅行で来てたんやんなぁ、と言ったら、トルコとかも行って来たって、旅の途中で言ってたで、と、言いました。

誰かにマエストロレッスンしてとか言われて呼ばれたわけでなく、自分で旅行できてたんやんなぁ、て、言ったら、そや、ブエノスになんぼでもおるミロンゲーロが、遊びに来ただけやで、と、言われました。

なんぼでもミロンゲーロおるのんか〜、ブエノスすごいな。

帰りしなに、ミロンゲーロのおじいちゃんに、ムチャスグラシアスマエストロ!て言ったら、なんかスペイン語で言われて、ポカン?てなったら、英語でまた、アイラビュー、と言ってほっぺにチュウされました。老ミロンゲーロ、チャラい!

あー、おもろ!

こう言うのもあるんやな。異文化体験でした。

f:id:dokusara:20230515221901g:imageミロンゲーロの写真はないので、マッツが踊ってるところ載せときます。(マッツは元々マーサグラハムのダンサーでアメリカにいたそうです)

ミロンゲーロのじいちゃんは、マッツには似てなくて、背が私と同じくらいの小さい細身のおじいちゃんでした。

ブエノス・アイレスのミロンガに巨匠と行ってみたいな。

〜参考記事〜

ギュウさんのミロンゲーロの話

ミロンゲーロ タンゴの踊り方 – タンゴの魅力【17】 – Studio TANGUERA

 

ごきげんよう