みなさま
キャセイパシフィック航空にて、関空から香港へ。
こんな足で、ハイヒールのタンゴシューズなんか、絶対無理やん…
巨匠が、指差し会話帳に載っとるで、と、見せてきました。
足首な、トビージョていうんやな。
フランス語で、足首、何ていうんやっけ(ベルギーで、足首骨折して手術したから、100万回フランス語で足首って言ってるのに忘れてる)。
シュビユcheville や、など、思い出しながら、香港へ。
足首まじで痛くて、香港の乗り継ぎでも車椅子使わせて欲しかったので、CAさんに、実はこうこうで、車椅子使いたいんやけど、大丈夫ですかね、と、確認。
関空発の飛行機には日本人のCAさんがまだ載っていたので、日本語で相談して、確認してもらいました。日本人でないCAさんにも、絶対氷で冷やした方がいいですよ、と、氷を親切に出してもらいました。
ありがたし(泣)。マジでありがとうございます。
香港自体も行きたいよなぁ。
香港見えてきた?
なんか、ブルースリーが船に乗ってコッソリ忍び入ってきそうやな、など、ワクワクする巨匠。
ええよなぁ、香港。
香港は、私が初めておばあちゃんに家族で連れてきてもらった海外旅行先で、それは、まだ返還前の1996年のことだったんよね。クーラーが効きすぎの裕華百貨店、ごちゃごちゃした二階建てバス、外国って匂いのシャングリラのアメニティ、街中に着陸する啓徳空港。もうすっかり変わっているのでしょう。
香港にもまた来たいです。
空港に着いたら、車椅子が必要なお年寄りと一緒に館内移動用の車に乗せてもらい、次の車椅子の人が迎えにくる待ち合わせポイントのところに降ろしてもらいました。
イマドキな感じの若いにいちゃんが車椅子で迎えに来て、乗り換えの行列を優先レーンでパスしながら搭乗口まで送ってくれました。
漫画のナルトとワンピースで日本語を勉強したそうで、日本語ペラペラでした。巨匠の世代はブルースリーとジャッキーチェンがスターなので、そういう世間話もしました。車椅子押してくれた男の子は、可愛らしい彼女と京都旅行した、と、日本で着物着て撮った写真見せてくれて、お世話になった分、ほんま、日本で楽しんでもらえてよかったな、と思いました。(彼らに日本で親切にしてくれた人たちにも感謝。私もみんなに優しくします。)こんな感じで、香港乗り換え完了。
実際のところ、飛行機が香港も着くのが遅れたので、蓋開けてみたら乗り換えが慌ただしく、且つ、あの人混みを荷物持って移動したらきっと足の捻挫悪化したと思うので、車椅子で連れて行ってもらえて、本当に助かりました。
ありがとうございました!
次は長い時間飛行機に乗りっぱなしです。
香港の新しい空港は、向かいの山にロープウェイが見えていました。


市街地から少し離れているのかな?
巨匠が、マッツの映画ある、と教えてくれました。
日本語の字幕は無かったので、話半分しかわかりませんでしたが、画面がおしゃれな映画でした。
夜中の軽食に、プリンパイを頼めるようだったので頼んでみました。
これ、美味いです。
ニューヨークなぁ、乗り換え諸々、大丈夫なんかなぁ。
そういえば、紐育って書いてあるの、さっきの香港の搭乗口で読んで、お世話してくれたお兄ちゃんに、漢字読める?と驚かれましたが、この漢字は日本語も中国語も同じ字を当ててるんですね。わたしがこの漢字を知ったのは、踊る大紐育からで、初めてみた時は、ヒモイク?はて、と思ったのでした。
古くはこんな風に日本でも書いていたんですね。
(さすがキャセイパシフィック。機内食美味いです)
五大湖見えるか?
さてはて、また、CAさんたちに、今朝、不幸にも怪我をしまして、車椅子が必要で…、の下りを説明して、確認してもらいました。
空港にメールで確認するけど、車椅子ちゃんと来ると思うよ!と、応対してくれ、氷ももらいました。
(上から見たニューヨーク)
紐育でも車椅子に乗せてもらいました。
他の車椅子は、みんなおばあちゃんおじいちゃんばかりで、こんな若いのにごめんね、の気持ちになりました。
ジャマイカぽい人たちと、バングラぽい人たちとが、連携して運んでくれました。
ジャマイカのおばちゃん(同年代)にアーユーハッピーヒヤ?て聞いたら、そうね、ここは良いよ、あなたもすぐ仕事見つかるよ、と、言ってました。
チップあげれば良かった。
どのタイミングでどれくらい渡せば良いか、全然馴染みがなくて、渡さずじまいでした。(ええ大人なのに、ごめんなさい)
ここでも大量の人々にお世話になりました。
びびっていた入国のところも、ESTAの番号聞かれることもなくスイスイでした。
アメリカに来た目的は?乗り換え!
現金でなんぼ持ってる?え?わからん、100ドルくらい?
旅行は誰と一緒か?家族!後ろの、夫!
んで、車椅子なので、カメラを顔の方に下げてくれて、ここ見てー、指紋撮るから指置いてー、て、言われるがままで、無事終了。
問題の乗り換えは、荷物が一旦香港から着いたターンテーブルのところに出てきて、それを拾い、到着ゲート出口直前のところに乗り換え荷物用のベルトコンベアがあって(係の人も多分いた)、そこに自分で持って行って、流すようになっていました。
巨匠がスーツケース二つ拾って、このベルトコンベアに流してくれて、ジャマイカのお兄ちゃんに車椅子押してもらって出口を出たら、名前書いたプレート持った迎えの人がたくさんいる到着ゲートになっており、それを通り過ぎたところで、ニューヨークに着いたなぁ、と噛み締めて、ハローニューヨーク!と、言い、車椅子を最短でエレベーターに押して行ってもらい、グッバイニューヨーク、と言いながら、出発ゲートのフロアに登って行き、人混みをかき分けて、出国ゲートに向かいました。
ところどころ、担当の人が違っていて、さっきの人にチケット預けたのに、返してもらう前にはぐれてしまったりしました。飛行機の搭乗券をQRコードでスクショしておいて本当に良かったです。
ここの出国ゲートは混雑していて、飛行機の時間が迫っているから、と、列を飛ばしていく人が何人かいて、本来なら私たちはあれになるはずだったんや、と思いながら、車椅子の優先レーンで通過。
荷物のチェックのところで、忘れ物ないか?と確認してもらいながら、無事所持品を回収して、搭乗口に送ってもらいました。
JFK空港は、めちゃ広いので、持ち場が多分決まっていて、車椅子押してくれる人が、次々変わりました。
みなさま、本当にありがとうございました。
次はブエノス・アイレスに行く飛行機に乗りました。
アラスカ航空、なんか、人の顔描いてある!と、巨匠に言われて激写。
機内食。
これは、アメリカン航空。キャセイパシフィックの甲斐甲斐しい感じから、フランクな雰囲気に。(特に悪い印象はありません)
アンデス山脈か?
飛行機はニューヨークからブエノスまで真下に飛ぶのではなく、パナマらへんで一度太平洋側にずれて、Sの字でブエノスへ飛んでいきました。
ベネズエラを避けていたのかもしれません。
こうして、30時間ほとんど座りっぱなしで、足をほぼ動かすことなく、ブエノス・アイレス着。
ブエノス・アイレスでも、車椅子が待ち受けていました(マルセロさんというおじさんでした)。
マルセロさんにも親切にしてもらい、入国審査のところでも、タンゴタンゴ、て言うて、ニコニコして、ブエノス・アイレスに到着。
マルセロさんは踊らないけど、奥さんはたまにミロンガ行くって言ってました。日本人がタンゴ、おもしろいね、と言ってて、出たところの両替も、街へ出るのに使うタクシーのカウンターも連れてってくれて、インスタも友達になりました。
インスタはぬいどりしかしてないので、マルセロさんの善行は主にfacebookで拡散してますが、お世話になりありがとうございました!
結局、もう行きたくない!ブエノス・アイレス行かへん!と言っていたのに、みんなに助けてもらって、ニコニコ、朝ごろ到着。
世界中のみなさま、本当にありがとございます。
巨匠と、一旦腹ごしらえするぜ、と、マクドかハバナっていうサンドイッチとかの店あったから、比べてみて、ハバナに入りました。
ブエノスには、メディアルナ(半月)っていう名前の、クロワッサンみたいなやつがあって、朝ごはんに食べる、と、ゆかこさんに聞いており、ここでお見えしました。
これ、初メディアルナ!
ゆかこさんから聞いた笑い話で、昔、ミロンガで仲良くなったおじいちゃんとミロンガの閉店まで踊って、終わった後に、朝ごはんにメディアルナ一緒に食べない?と誘われ、部屋くる?て言われて、え!こんなおじいちゃんが??!と言うことがあったらしく、これが、そのメディアルナかぁ〜!初めまして、とニコニコしました。
それから、さっきマルセロさんに教えてもらったカウンターでタクシーを呼んでもらい、巨匠が日本から何度もやり取りしてくれていたアナさんとこうじさんのところに初日の一泊目、泊めてもらいに行きました。
(ブエノス・アイレスエセイサ空港着だよ!の凛々しい23たち)
高速道路の横の緑地帯みたいなとこで、焼肉(アサード)してる人たちがいました。
アサードは、アルゼンチンの国民的料理だそうです。
アナさんちに着いたら、前まで出ててくださって、安心感!めちゃありがとうございますの気持ちです。
荷物を置かせてもらって、シャワーをお借りし、アナさんは、私がつく前からめちゃくちゃいろいろ心配してくださっていて、昔だれかダンサーさんが置いて行ったと言うサポーターを貸してくださって、それを装着。
出発時に怪我した!と、カミラとルネマリに言ってたところ、カミラのお姉さんがお医者さんだからみてくれる、とのことで、四時ごろにおうちに行く約束をしていました。
Uberでカミラのお姉さんの家に行きました。
カミラのお姉さんのマルティナは、仕事がお休みの日だったのに、家で待っててくださって、初めまして、で、いきなりおうちに上がらせていただき、足を見てもらいました。
そして、腫れ止めの飲み薬と、塗り薬と、テーピングをしてくれました。
この時は歩くのに足をついたらギャと痛い感じで、このまま治るのか??と不安になる感じでした。
マルティナは、テーピング用のバンドの買い方をメモで教えてくれて薬局の住所も教えてくれましたが、教えてもらったところにテーピング用のバンドはなく、2、3軒回りましたが、まぁええか、と、果物屋さんで果物買って帰りました。
※空港からアナさんちは、Uberじゃなくてタクシーに乗りました。Uberだと、捨て垢で、強盗目的で空港に来る人がいるんだと、アナさんに聞いたからです。空港に着いた旅行者は、たいてい現金持ってるから。
街中はそういう心配が少ないそうで、Uberはめちゃ便利でした。
夜は、こーじさんが、アルゼンチンの牛をステーキにして出してくださいました!
初!アルゼンチンの牛。
めちゃ美味しかったです。ありがとうございました。
このようにして、私たちはブエノス・アイレスに、無事インストールされたのでした。
アナさんとこーじさんというのは、20年ほど前からずっとブエノス・アイレスに住んでいるタンゲーロス(タンゴを踊る人)で、巨匠がタンゴを始めたころにタンゴでブエノス・アイレスに住んでいた人(私の最初のタンゴの先生である、ジミー先生)が書いてたブログの登場人物で、巨匠が会ってみたい方々だったのですね。
私は、いろんな面においてビビリなので、人間関係においても少しビビるところがあり、全くの利害関係がない初対面なら私が下手こいて嫌われても関係ないので気にならないのですが、巨匠が一方的に知っているほぼ初対面の人に、到着早々ある程度社交性を持って接さなあかん、と思って最初少し負担に思っていました。けど、到着早々、アナさんとこうじさんにめちゃめちゃ優しくしてもらって、到着前からいろいろ私たちのこと考えて準備してくださっていた優しさがじわじわと伝わって、私のビビりが杞憂に終わり、こうして無事にブエノス・アイレスにインストールされた気持ちになり、ほんまにありがたかったです。
私は足がまだまだ痛かったので、家で寝ることにしました。
巨匠は、夜遅くに、アナさんとバルドッサというミロンガに、ナターシャのレッスンがある、と出かけて行きました。夜中の2時か3時に帰ってきたみたいでした。
巨匠は、ほんまやったら着いてすぐ昼寝して、ミロンガの夜更かしに備える予定やったけど、私がマルティナのところで足を診てもらうことになったので、着いてきてくれて、仮眠なしだったのですね。
これは、マルティナにテーピングしてもらった足。
マルティナも、突然初対面の外人が押しかけたのに、親切に診てくれて、本当にありがとうございました。
巨匠、マルティナ、アナさん、こうじさん、マルセロさん、世界中の人々にお世話になって、なんとかブエノス・アイレスにインストールされた1日目でした。
一足お先におやすみなさい。
(続く)
ブエノスアイレスにいく初日に、世界中の人にお世話になる動画です。 - YouTube
ごきげんよう。
とうとうアルゼンチンに行きました(2日目。街中に引っ越し編) - 毒食わば皿まで 2