みなさま
月曜、さてと、出かけようかな、と、思って化粧の仕上げをしていたら、地震が来て、え、え!と、手に白粉の入れ物持ったまま無意識に立ち上がり、おしろいの入れ物持ったまま、ガタツク食器棚の扉が開かないようにひゃーー!と、抑えました。
前に、倉吉で地震があった時、出張でベトナムにいて、食器棚が心配になり、帰国後つっかえ棒をしていたので倒れることはなかったのですが、つっかえ棒は?というくらいガタガタと、食器棚が揺れ、住んでる安普請のアパートは、床抜ける!これ以上やめて!という揺れでした。
うちは、多分震度5の地域だったと思うのですが、ほんま、アパート壊れるかと思ったです。
しばらく手が震え、ドキドキが止まりませんでした。食器棚の上のぬいさんや、横のタンスの上においてた細々したものなど、すっ飛び散乱。テレビの下の棚に積んでた本やらなんやらも、手前に飛び出し、草刈正雄の写真集もこんにちは。
手前のマトリョーシカや、ロシアの象、ベトナムの木の人形なども、倒れてみんな呆然。
とりあえず、マトリョーシカさんたちは、3人に分身してましたが、みんなまとまって大きい子に入ってもらいました。パニクって一番最初にした片付けは、マトリョーシカをまとめる、だった、という…。
(ロシアの象さんは、落ち着いて見たら耳が欠けてしまっていたので、今度実家に持って帰って、木工ボンドで直す予定。上から落ちてきた化粧の重たい瓶が当たったみたい…)
テレビをつけ、風呂おけに、とりあえず水の汲み置きしよ、と思って水を少し取り、洗面やトイレの散らばりを片付け、後輩M女史と連絡を取りあいました。
上司に電車止まったみたい、と言ったら、自宅待機で、動いたら来て、と言われたので、有給を使いたくなかった私は四時でも電車動いたら行ってやろ、と思っていたところ、M女史は、そんなに待つなら自転車で行けるかな、と言いだし、たしかに、と思って、隣の駅の彼女の家まで自転車で行き、2人で冒険気分で、自転車で会社に行きました。
出かける前、大事なぬいさんたちが、留守中に火事に巻き込まれたりしては一大事と、車に避難させ、向かいました。
いろんな人に聞いたら、みんな、電車で何時間も缶詰とか、線路歩いたとか、駅で足止めとか、2時間歩いて出勤とか、大変な思いをされた様子。
私は、有給を使いたくなかった&安普請アパートで1人は嫌という理由で、いそいそ自転車で。
歩道は確かに人が割合多く、みんな通勤の途中で、駅から出されて歩いてる感じ。
車も渋滞。
M女史が地図を見て調べていたため、私は車で通ったことのある遠回りをしようとしたところを、こっちで曲がるんでは、と言われて、曲がってちゃんと最短ルートで。
1時間以上10キロ漕いで腹ペコで膝笑いました。
職場はガラガラで、少しだけ人がいて、時間内には、大変な思いをしながら、何キロ何時間歩いたーと、げっそりした顔でやってきた人が徐々に増え。
昼過ぎまでエレベーターが止まり、配送関係の人がすごく不便していました。
その日は一日、エレベーター復旧してからも、私はびびって階段を使いました。
帰りに、自転車で、十三駅らへんで普段寄らないようなとこに行こうか、と、M女史と示し合わせたのですが、新淀川大橋を渡る歩行者が溢れているニュースを見て、とりあえず近くに戻っといたら、と言う知り合いらにビビらされ、渡れる川は渡って家のある陸地まで、とりあえず向かってからインド。
こういう時、インドの人は休まず営業してるイメージです。
姫路のお気に入りの店は、盆暮れ正月構わずずっと働いていました(我が社も盆暮れ正月構わず営業しているので、祝日出勤時、ランチで開いている店が他になかったのです)。
タンドリーチキンとルービー。
サイクリングの後なのでうまし。ナンは丸くて少し甘い。
美味しかったです。
そして、帰宅し、ぬいさんたちを車に迎えに。みんな無事でなにより。
今のところ、落ち着いてますが、また大きな地震が会ったら嫌だな、と思って、ドキドキしながら過ごしています。
災害は忘れた頃にやってくる。
ぬいさんたちの無事さえ保障されれば、私は他に守るものもなく無敵なのですが…。
無事に楽しくノホホンと過ごしたいです。