毒食わば皿まで 2

毒食わば皿まで http://dokusara.exblog.jp の続き

ヨネやんの東京見物伝と播州人三島由紀夫

みなさま

 

わたしは実家が東播にございまして、高校生の頃は加古川辺りに出没していました。

最近、昔行ったことがある加古川の古い図書館が取り壊されるかもしれない、というニュースを見ました。f:id:dokusara:20210409225748j:image(産経新聞写真引用)

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話変わって、なんか、すんごい眉唾なのですが、父方のひいお祖母さんであるヨネやんが、三島由紀夫は親戚やていうとった、と、朧げですが、子供の頃誰かから聞いたことがある気がします。

三島由紀夫は、そのおじいさんが、うちの実家から山一つ向こうの志方という村の出身で、本籍地が兵庫県にあったということです。その関係で、何がどう絡まったか、そんなヨネやんの話になってるのかな、と、勝手に想像しておりました。

それとは別に、わたしがロータリーの奨学金で留学させてもらう時に、加古川のロータリアン達と会食する機会があり、その人たちに、たかたさんは、志方の高田さんか、と、何人にも聞かれたこともひっかかっておりました。

わたしの結婚前の本籍地はひいおじいさん(ヨネやんの夫)が住んでいたところなんだそうで、志方の高田さんではありません。本籍地住所の周りには同じ名字の家がなく、別の名字の中にポツンと本家があるので、何処か他所から出てきて、そこに居着いたのかな、とも思っていました。

知らんけど、志方のたかたさんと遠縁なのかもしれんな、知らんけど、と、思って、志方のたかたさんのこと知り合いではないので、フンワリと、見知らぬ老人にも、もしかしたら遠縁のたかたさんかも知らんし、優しくしとこ、と、思うようにしていました。

今回、三島由紀夫が徴兵検査を受けて米俵を持ち上げられなかった松の木の下の話を改めて読んで、思い出したことがあります。

ヨネやんが、なんか、東京見物に行ったことがあり、その時、何故か、馬車に乗せてもらったという話です。

その馬車が、また眉唾ですが、菊の御紋がついた馬車で、そんな御紋を着けてヨネやんを乗せて走ったら当然咎めに遭うので、布を被せて、菊の御紋を隠して馬車で東京をまわった、という話。

どれもこれも胡散臭い話です。

ヨネやんは、私が産まれる前に亡くなっているので、私は会ったことはありません。

それに加えて、ヨネやんの娘であるところの我が祖母ヤヨちゃんも、大概話を盛り過ぎるタイプです。

その上、わたしの憶測も加えて考えることはほぼ妄想ですが、こんなんやったら面白いなぁ、と考えてるストーリーがあります。

実は、ヨネやんの夫(祖母ヤヨちゃんの父)が、本当に志方の高田さんと関係があり、血縁ではないにしても、三島由紀夫と姻戚にあった。

ヨネやんがなんで東京に行ったか知らんけど、三島由紀夫のおじいさん(大臣をしていたらしい)のコネを使って、菊の御紋の馬車を借りた。

ヨネやん、東京でご満悦。

というストーリー。

f:id:dokusara:20210409225844j:image(神戸新聞写真引用)

このストーリーの中身で確かなのは、ヨネやんやヤヨちゃんが播州人で、わたしに生粋の播州人の血が流れていることと、三島由紀夫にも播州人の血が流れている、ということだけです。

ヨネやんが東京に行ってもてなされたらしいことすら、ちょっと、ただの伝説ちゃうか、と思うくらいです。

まぁ、ヨネやんは、おばあさんになってからも、自分でニッセイレディして稼いだお金で、一人であちこち旅行に行ったりしてたらしいので、東京くらい行ってたかもしれません。

わたしにも、先祖代々の話を盛る遺伝子が受け継がれてるのかも。

f:id:dokusara:20210409231039j:image死ぬ直前まで美容師で、お客さんの頭してた、ヤヨちゃんの形見のハサミを昨日実家から送ってもらって、ちょっと思いを馳せてみました。

 

ふと、思いついた話です。

ごきげんよう